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亀島延昌のちょっと一服

 
 

カウンターからタンゴの世界へ vol.17

○リタとの1週間
 アルゼンチン大使館の職員、リタは日本を離れることを私たちに打ち明けた。残りの時間はあと9日。もし昨日、大使館でのアルゼンチンワインの試飲会で我々に会わなければ別れを告げることなくブエノスアイレスに帰るつもりだったのか?そんなことを考えながらメールを開くと案の定、長身の男性からメールが来ていました。「亀島さんこんにちわ。Ritaの最後の9日間ですが、あいにく私はサラリーマンなので昼間は動けません。今度の日曜日は付き合いますがその他の日はお任せします。」とのこと。 
 こうして翌日のお昼過ぎから1週間、 リタと私は毎日デート(?)をしました。火曜日〜神保町のタンゴカフェ、「ミロンガ」でお茶を飲みながらフリオ・ソーサ(語り口調で渋いヴォーカリスト)やロベルト・ゴチェネチェ(酔っ払ったように歌う一風変わったボーカリスト)など歌い手に特化したリクエストをしました。水曜日〜生の魚を食べたことが無いと言うので、今まで何年日本にいたんだなどと言いながら和食屋さんに連れて行きましたが、箸をつけただけで食べられませんでした。これを見ていた板前さんは「なんだよ、こうなったら肉を魚の形に切って焼いてやるよ。」とボヤいていました。木曜日〜ブエノスアイレスに荷物を送るのを手伝いました。アルゼンチンの郵便局は5時まで(これは日本と同じ)ですが30分前には入らないと露骨に嫌な顔をされるそうです。4時を回ると焦りだすリタを見ているとなんだか笑ってしまいました。
 木、金、土は日本の文化をモチーフにした小物を買いに色々なところへ行きました。久しぶりに昼からカラオケボックスにも行きました。こうして約1週間後の日曜日の夜、長身の男性と私は、リタとの最後の夕飯を共にすることになりました。
 
○ Last Tango in TOKYO
日曜日のディナーは長身の男性、リタと私の3人でローストビーフの専門店へ行きました。シャンパン、赤ワインをしこたま飲み、美味しいロースとビーフにした鼓を打ち、酔っ払いながら溜池の交差点をフラフラと歩いているとリタが言いました。「亀島さんのお店に行きたい。」すると長身の男性が制するように言いました。 
「リタ、今日は日曜日だからお休みだよ。」「でも、ここに店主がいるじゃない。この人次第でしょ。」確かに考えてみるとこの1週間毎日リタと会っていたけどお店の出勤時間まででした。つまりお店には行っていない。「よし、行きましょう。」こうして日曜日の貸切BARが開店しました。日曜日の銀座は人もまばら、でもそこがまた良い。そして店の鍵を開け、真っ暗な店内を歩くことが出来るのも店を知り尽くしている私だけ。電気のスイッチのところまで行き、パチパチとライトに火を灯す。アルゼンチンの赤、AMACAYAで乾杯し、思いで話に花が咲く。そして私は「Los
Mareados」という曲をかけました。酔いどれたちという意味の曲です。そしてリタと踊りました。店内は細長く、ここで踊るのは上級テクニックです。先ほどまで真っ暗な店内をスムースに歩いていた私も急に足がすくみ始めました。カウンターにぶつからないように左にステップ→素直に反応するリタ。2歩全身→ぐっと抵抗してくる。それにより彼女との密着度は増す。右回転→軽やかに反応。静止して彼女の体重を自分に引き寄せる→左腕を大きく伸ばしてから私の首にからませる。〜互いの呼吸を感 じ取り、尊重し合いながら踊った、まさに彼女にとってのラスト・タンゴ・イン・トーキョーでした。
 あれから約5年、彼女は今シドニーに移住し一児の母になっています。