はじめまして。
今回より、本コーナーを担当させて頂く事になりました、堀川 賀正です。
私は銀座で働いて日が浅く、銀座の街のことを調べて皆様と共に勉強できればと思います。第1回目は銀座のシンボルとして有名な和光の時計台について調べてみました。
銀座4丁目の交差点の1角に立つ和光の建物は昭和初頭から今日に至るまで銀座のシンボルとして、銀座通りのイメージを象徴してきました。正式には、現在の時計台(時計塔)は二代目にあたります。
初代時計塔が完成したのは明治27(1894)年。和光の前身である服部時計店の創業者、服部金太郎が、銀座4丁目交差点角地の朝野新聞社屋を買い取り、増改築の末に、明治28(1895)年1月、服部時計店はこの新店舗で営業を開始しました。
その後、大正の好況期に入り、建て替えが計画されたものの、 大正12(1923)年の関東大震災により建設を中断。再開されたのは昭和4(1929)年末になってからのことでした。多くの人が知るこの建築は、昭和7年(1932)に建てられたものです。
角地に対して丸みを持ったこの建築物は、ネオ・ルネッサンス様式と呼ばれるもので、7階建ての建物に、およそ6mの時計塔が載っています。時計の長針は3m近くもあり、眼前で見るとその大きさに圧倒されます。建物は、世界各地から集められた豪華な材料を使い、当時の坪単価350万円、現在に換算すると坪300万円を超える贅沢さです。
昭和初期のモボ・モガで賑わった銀座にも、次第に戦争の影が差し、昭和20(1945)年マッカーサー元帥率いる連合軍の進駐が始まると同時に、時計塔の建物はP.X.(POST EXCHANGE)として接収されました。そのさなかの昭和22(1947)年4月に服部時計店の小売部門の業務を継承して株式会社 和光が設立され、銀座5丁目の仮営業所で営業が始まりました。
P.X.としての接収が解除された昭和27(1952)年12月、現在の和光本館での営業を開始しました。戦後はショーウインドウのデザインを当時の気鋭のデザイナーが競作し、話題を呼びました。以後、和光のショーウインドウは、「銀座の顔」として世界的に有名になりました。
そして、昭和29(1954)年6月10日「時の記念日」からは、ウエストミンスター式チャイムの音が鳴り響くようになりました。錘巻上げ式だった時計の動力部分も昭和41(1966)年には、時代を先駆けるセイコー・クオーツ水晶発振式のムーブメント(機械体)に取り換えられ、その後も技術の向上に合わせ、高精度のムーブメントを導入しています。現在、時計塔のチャイムは、正時になる45秒前からウエストミンスター式チャイムが鳴り、その余韻の後に響く第1打正時を知らせしています。このように、銀座の街を見守ってきた和光の時計塔。
平成21(2009)年には、経済産業省が日本の産業近代化に大きく貢献した建造物や機械などについて、その保存、活用を目的に認定する「近代化産業遺産」に認定されました。このような歴史の中で、現在に至るまで、多くの人々に和光の時計塔は銀座のシンボルとして愛され続けてきました。
私も、銀座の時計塔のように、多くの方々に愛される人間になれるよう、頑張りたいと思います。 |