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亀島延昌のちょっと一服

 
 

堀川賀正の銀座探訪 vol.11

銀座通り
銀座通り
 銀座のメインストリートとして君臨する「銀座通り」。
 訳あって先日の日曜日にこの銀座通りを通ったときにふと気になったので、今回は「銀座通り」について調べてきました。
 江戸時代、徳川家康が全国支配をより強固なものにするため、日本橋を始点とする五街道が建設されました。銀座通りは建設当初、西は大坂まで繋がり、東海道と呼ばれ多くの旅人の足を支えただけでなく、参勤交代に出向く多くの大名や、豪華絢爛と知れた朝鮮通信使たちも通る、政治的にも非常に重要な道路でした。
 さらに職人や商人の共存する銀座のど真ん中で、経済的にも重要な役割を担いできたのはいうまでもありません。そんな地理的な要因のせいか、銀座通りは特に時代の流れの影響を受ける通りといっても過言ではありません。
 古今を問わず、常に活気に満ち溢れていて時代の変遷とともに、通りの様相はさまざまに変化してきました。1962年に「中央通り」と呼ばれるようになってからも道幅はおよそ16メートルで、この幅は江戸時代に整
備された当初の幅とほぼ等しくなっています。
 近年では日本の高度経済成長を支えた主要道路でもあり、多くの高級ファッションブランドや老舗菓子店が軒を連ね、大手百貨店などが銀座の街の洗練されたイメージに拍車をかけます。一本裏に入ってみると、そこにはギラギラとした華やかな夜の銀座が現れます。
 最近ではファストファッションブランドも銀座通り沿いに店舗を構えるようになってきて、話題を制しています。銀座を愛する人たちの「銀座が銀座らしくなくなる…」と嘆く声も聞こえてきます。しかし現在の、まさにリアルタイムな時代の影響を受け敏感に変化する、この姿こそが銀座の持つ常に時代を先駆けるという“銀座らしさ”なのではないでしょうか。
 また、銀座通りを一見すると気づきにくいのですが、ギラギラした銀座のイメージとは別に、昔ながらの“銀座らしさ”も兼ね備えています。私も銀座に勤めて十余年が経ちますが、この銀座のメインストリートに、ゴミ
が落ちているのを見つけたことは本当に数えるほどです。人種や職業を問わず、本当にさまざまな人たちが昼夜関係なくごった返しているこの街のメインストリートが常に綺麗で壮観な景観を保っているのは、銀座に住む人たちの弛まぬ努力と気配り、心配りの賜物だと思います。
 片道2車線の銀座通りにガードレールが存在しないのも、銀座という街の景観や歩行者の回遊性をまもるためだといいます。ほんの些細なことにでも気づいて、気にかけてやる銀座の人たちの気配り・心配りが如実に現れているのも、この銀座通りの特徴だと思います。日曜日の昼下がり、歩行者天国で車両の締め出された「銀座通り」を歩いていて、ふと「気配り・心配りの街、銀座」をあらためて見つけたような気がしました。そこには国籍や人種、老若男女を問わずごった返す観光客のたくさんの笑顔の裏で、誇りと自信をもって働く銀座の人たちのすがたが見え隠れしていました。