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亀島延昌のちょっと一服

 
 

堀川賀正の銀座探訪 vol.3

 ハイカラでモダンな銀座のイメージとは異なり、日本の美しい文化が薫る歌舞伎座。
 今回で3回目となりました、銀座探訪。
 4月に新開場した歌舞伎座について、学んでいきたいと思います。
 銀座には現代的な建築物が多くここ数年で徐々に古い建物は姿を消したり、前回の交詢ビルのように一部を残して新しい建物になったりしています。
 今回ご紹介する歌舞伎座も銀座に残された伝統的な建物ですが、新たな建造物に生まれ変わりました。大都会のビルの中に突然現れるこの建物は、粋で華やいだ非日常の空間。
 建物を眺めていると、さながら銀座に突如出現した城のようでした。
 歌舞伎というと観たことのない人にとっては、敷居が高いかもしれませんが、誰もが楽しめるエンターテインメントです。
 歌舞伎座は演劇改良運動に熱心だった福地源一郎が中心となって、自らの理想を実現すべく明治22年(1889年)11月に開場しました。
 演劇のジャンルをそのまま劇場の名称としましたが、当時は市村座、新富座などのように座元の名前や地名をつけるのが通常でしたので、歌舞伎座はその存在自体が大変革新的な劇場だったのです。
 明治44年(1911年)に純日本式の宮殿風に大改築。大正3年(1914年)からは松竹合名社(現在の松竹株式会社)が興行の一切を受け持つようになります。
 経営が軌道に乗っていた大正10年(1921年)10月、漏電による火災で焼失。さらに、新劇場を建設途中の大正12年(1923年)9月1日、関東大震災に遭い、工事が一時中断しました。
 3年の空白を置いて、大正13年(1924年)12月に奈良朝に桃山様式を併せた大殿堂が落成。
 そして、時代は昭和へ。歌舞伎座は黄金時代を迎えます。十五世市村羽左衛門・六世尾上菊五郎・初世中村吉右衛門などの名優が活躍し、日本を代表する劇場としての地位を揺るぎないものにしました。
 戦時下の昭和20年(1945年)5月の大空襲により焼失しますが、昭和26年(1951年)1月に復興。古典のみならず新作など数多くの名舞台を送り出し、昭和63年(1988年)には開場百年を迎えました。
 平成22年(2010年)から休館していた歌舞伎の殿堂歌舞伎座。5代目となる新しい歌舞伎座が2013年4月2日から開場されました。
 劇場に併設するかたちで、地上29階建てのオフィスビル「歌舞伎座タワー」も誕生し、新しい歌舞伎座と歌舞伎座タワーからなる複合施設「GINZA KABUKIZA」となりました。
 再開場したばかりで、何かと話題の尽きない新しい歌舞伎座。
 この歴史的な機会に改めて皆様も、訪れてみてはいかがでしょうか。