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亀島延昌のちょっと一服

 
 

堀川賀正の銀座探訪 vol.7

博品館
日本一のおもちゃのデパート 博品館
 明けましておめでとうございます。新年最初の掲載は博品館を取り上げました。私自身も幼少の頃、正月にお年玉を持って、おもちゃを買ってもらった思い出があります。
 そんな“わくわく楽しめる日本一のおもちゃのデパート”を調べてみました。
 博品館の歴史は古く、元々は1899年に「帝国博品館勧工場」として創業されました。建物には時計塔もあり、新橋から銀座へ向かう入り口として街のシンボルとなりました。
 「勧工場」とは、百貨店の原型ともいわれ、今日のショッピングセンターのように全館がバラエティに富んだテナントにより構成されたそうです。1921年には4階建ての近代ビルに改装され、銀座では、はじめてとなるエレベーターが設置されました。当時、「百貨店」という言葉が話題になったりと、とても盛り上がっていましたが、1923年の関東大震災で被災し1930年になって廃業してしまいました。
 その後は百貨店営業を断念し、戦前はカフェー「銀座パレス」を経て戦後には福富太郎の経営するキャバレーチェーン「ハリウッド」の本店である「銀座ハリウッド」が営業していました。当時の「カフェー」とは現在のカフェとは意味合いが異なり、キャバレーの前身となるもので女性が給仕を務めていることを売りにしていたようです。
 それから1978年に創業80年を期して、現在の10階建てビルを新築し、新しく「博品館 TOY PARK」が営業することになりました。 これによって55年ぶりにおもちゃ屋さん「博品館」が復活することになったのです。
 1986年には、日本一大きなおもちゃ屋さんとして、ギネスブックにも名を連ねました。また、独特のにおいがするのが特徴で、1階から4階をつなぐエレベーターは、太い銀色のパイプが1本通っているだけの珍しいエレベーターです。これはシリンダーと呼ばれるパイプを油圧によって上下に動かし昇降させるもので、SF映画に出てくるようなカッコイイものをイメージして作られたそうです。
 博品館の歴史は半世紀を子供たちに、もう半世紀は大人たちに捧げる歴史でした。こういった歴史が現在の大人も子供も魅了する博品館の魅力につながっているのではないでしょうか。