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亀島延昌のちょっと一服

 
 

堀川賀正の銀座探訪 vol.16

銀座数寄屋橋交番

〔銀座数寄屋橋交番〕
~とんがり屋根の数寄屋橋交番、銀座の街を見守り33年~

 今回は、数寄屋橋界隈の賑わいと時代を長く見守ってきた数寄屋橋交番を訪ねてみました。数寄屋橋交差点はかつて北に朝日新聞社東京本社ビル、南はマツダビルディングという大型ビルに挟まれて独自の近代的な景観を見せたことから、銀座の中でも有数のスポットとなりました。それからマツダビルディングは時代の変遷とともに「モザイク銀座阪急」を経て、現在は全面ガラス張りの大型複合ビルへと建て替え工事がなされています。
 また、数寄屋橋交差点は周辺地域から銀座に入るときの主要道路が入り組んでいることから銀座の玄関口ともいわれました。数寄屋橋交番はそんな数寄屋橋交差点の片隅に1982年より建てられて以来、平日だと一日あたり12万人、休日ともなると一日21万人もの通行者を見守ってきました。
 数寄屋橋交番は建築当時、文化行政で遅れをとっていた東京都の「文化のデザイン」事業の一環として、近代銀座の街の外観を模した独特なデザインで建てられました。
 近代銀座の街の外観というのも、銀座の街は江戸時代後期より、防災対策として街全体がれんが造りになっていました。そんな街の歴史にちなんで数寄屋橋交番は「れんがタイルの壁にとんがり屋根」という独特な外観をたずさえて建てられたのです。
 この「文化のデザイン」事業とは、当時東京都が推進していた文化政策のひとつで、公共施設に文化的な香りを持たせることを主とした目的に掲げていました。この「文化のデザイン」事業が交番に適用されるのは東京都でも数寄屋橋交番が最も早い例だったそうです。
 建築の際に東京都から数寄屋橋交番の設計を依頼されたのは、東京工業大学教授も勤めた建築家の山下和正氏でした。山下氏はれんが造りの数寄屋橋交番の独特な外観について、「都市のシンボルとして分かりやすく、定着するものを考えた。」と新聞にもコメントを残しています。また、屋根の形は建物が三角ぼうしをかぶったようになっているのですが、このデザインになったのには裏話があり、設計中の模型段階のときに、数寄屋橋交番の屋根の上に目印としてつけていた待ち針を、当時の警視総監が気に入ったためそのまま実際の建物にも待ち針風の彫刻を施したそうです。
 当時、無表情な四角四面のコンクリート建築が主流だった中で、親しみやすいデザインに建てられたこの交番は以後、数多くのデザイン交番の先駆けとなり、話題にもなりました。
 交番の前に立つおまわりさんたちの表情もどこかやさしげな風に見えるのは数寄屋橋交番の愛らしい外観のせいかもしれません。
 そんな愛嬌たっぷりで多くの人から親しまれてきた銀座のシンボル、数寄屋橋交番ですが建築されてから30年以上の歳月が経ち、建物の老朽化や構造的な耐震上の理由、また女性警察官用の洗面所などがないことから、今回新たに建て替えられることが決まりました。
 今までの愛らしい姿が見られなくなると思うとちょっと名残惜しいですが、新しく建てられる建物がどのような外観になるのか楽しみでもあります。
 かつて実施された東京都の文化事業が惜しみなく反映された数寄屋橋交番の最後の姿を見納めに訪れるのもいいかもしれません。