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亀島延昌のちょっと一服

 
 

堀川賀正の銀座探訪 vol.15

東京駅創業100周年

金春通り
 今回は、銀座の中心で、有名ブランドのショップが軒を連ねる煌びやかな中央通りから一本隔てた、金春通
りをご紹介いたします。
 長さおよそ130mほどの極めて普通の裏通りですが、江戸情緒を残す「銀座の最後の砦」と言われている由緒ある通りで、「金春通り」という名前は江戸時代に能楽の金春流の屋敷があったことに由来しています。
 能楽は宝町時代に足利幕府の保護奨励を受けて発達し、安土桃山時代には能楽の熱心な愛好者であった豊臣秀吉の保護を受けて大いに興隆しました。とくに、金春家は秀吉の強力な保護を受け、能楽の筆頭として幕府に召しかかえられました。それから後の家康の時代になってからも江戸幕府は秀吉の方針を踏襲して能楽を保護し、金春・観世・宝生・金剛の四座を幕府の儀礼に深く関わる式楽と定め、幕府直属の能役者として、金春・観世・宝生・金剛の四家に土地や俸禄を与えました。元禄6年(1693年)頃の江戸市中の状況を記した『国花万葉記』によると、金春家は山王町(現在の銀座)・観世家は弓町(現在の銀座)・宝生家は中橋大鋸(おが)町(現在の京橋)・金剛家は滝山町(現在の銀座)に屋敷を拝領していたとされています。
 この四家の中でも最も歴史のある金春家は、伝説の上では聖徳太子に近侍した秦河勝を初世としていますが、実質的には室町時代前期に奈良春日大社・興福寺に奉仕した猿楽大和四座のひとつ、円満井座に端を発すると考えられています。
 後に、金春家の屋敷は麹町善国寺谷(千代田区麹町3・4丁目)に移りましたが、跡地には芸者が集まり花街として発展していき、銀座の街に華を添える彼女たちを「金春芸者」と呼ぶようになりました。
 金春の名は、「金春湯」、「金春通り」など、今尚根強くこの地に残っています。「金春湯」は、現在中央区にある10軒の銭湯のうちの1軒で、この金春通り沿いにあります。銀座に銭湯が残っていること自体非常に珍しいことですが、創業が江戸時代末期の文久3(1863)年で150年以上の歴史を持つことに驚かされます。昭和32年に現在の建物に改築され、平成26年にも改修工事が行われましたが、都内に現存する江戸時代から存続している3軒の銭湯の内の1軒で、それだけでも文化財級といえます。
 私も何度か足を運んだことがありますが、お昼の2時から営業していて、早い時間でも客足の絶えない老舗銭湯です。
 金春湯通り沿いには他にもいろいろなお店が軒を連ねていて、何度通っても飽きず、つい顔を上げて歩きたくなってしまうような、そんなわくわくする通りです。