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亀島延昌のちょっと一服

 
 

堀川賀正の銀座探訪 vol.6

一日乗降客数約27万人 銀座駅
 日本が世界に誇る繁華街、銀座。江戸や明治の頃からの伝統を誇る老舗や有名百貨店、国内外のスーパーブランドのショップがひしめきあい、常に時代の最先端にある街として世界に知られています。銀座駅は、そんな銀座の大動脈でもある中央通りと晴海通りの真下に位置しています。これらの大通りの下を走る駅構内のプロムナードは、多くのビルと直結しており、一日を通してショッピングを楽しむ人だけではなく、サラリーマンやOL、外国人観光客といったさまざまな人が利用しています。
 今回はそんな銀座駅について調べてみました。
 1日の乗降客数は約27万人。185もある東京メトロの駅のなかでも第4位の利用者数を誇ります。地上へのアクセスも非常によく、銀座4丁目交差点付近から晴海通り、数寄屋橋交差点にかけて32箇所もの出口があります。
 この銀座駅は1934年に銀座線の主要駅として開業したのがはじまりで、1957年に丸の内線、1964年に日比谷線が加わり、現在の形となりました。
 丸の内線から銀座線までの通路に早川徳次の胸像があります。彼は1914年に訪れたロンドンで、初めて見た世界初の地下鉄に驚愕し、日本にも地下鉄を通したいという一心から、アジアで初となる地下鉄を浅草-上野間で開業させた人物であり、地下鉄の父と呼ばれています。
 現在、東京メトロと呼称される現・東京地下鉄は、旧・営団地下鉄の後進であり、このメトロという言葉は1863年にロンドンで開業した世界初の地下鉄、メトロポリタン鉄道に由来します。
 東京メトロでは現在一部の発着駅で、電車の発車合図や接近合図にご当地メロディーを採用していますが、銀座駅では1949年に放映された東宝映画「銀座カンカン娘」の主題歌が採用されています。夜の銀座のバーを歌い子として渡り歩いた主人公たちの姿が銀座駅のシンボルとなっているのです。
 江戸時代に銀貨鋳造所が移されて以来始まった銀座の歴史は、銀座役所を経て恵比寿屋、亀屋、布袋屋といった呉服店が軒を並べる職人の町として発展し、日本を代表する芸能文化開花の先駆けとなりました。また1872年の大火災をきっかけに、町は西欧風のジョージアン様式の煉瓦街に一新され、ファッションや情報の中心地として栄えてきました。
 銀座駅は、常に時代をリードしてゆく、そんな銀座の街の下で今日も27万人の足を支えています。