GSK
銀座の夜バナー   GSK緑化運動   GINZA Official  
           
GSKとは? | 協会案内 | 協会沿革 | GSK便り | 知得アラカルト | 賛助会 | 情報リンク | ご意見ご要望
 トップページ > 知得アラカルト > 堀川賀正の銀座探訪

亀島延昌のちょっと一服

 
 

堀川賀正の銀座探訪 vol.9

銀座シネパトス
銀座シネパトス
 東銀座駅と銀座駅の間にある三原橋地下街にあって、1967年に「銀座地球座」としてオープンして以来、多くの映画ファンを魅了してきた「銀座シネパトス」。昨年の三月に三原橋地下街の閉鎖に伴って閉館したこの映画館をご紹介いたします。
 1950年代、東京大空襲によって大量にできた瓦礫の山を処理するために、東京都は江戸時代に作られた三十間堀川を埋め立てて、そこの地下に「三原橋地下街」を完成させました。現在の三原橋という地名は当時、三十間堀川にかかっていた橋の名前が由来となっています。
 この三原橋地下街にあったニュース映画専門の映画館「テアトルニュース」と、当時パチンコ店であった「銀座ゲームセンター」から建て替えられて、映画館となった「銀座東映」によって、三原橋一帯は映画の街となりました。これらが後に「銀座地球座」「銀座名画座」に変わって、「銀座シネパトス」の前身となりました。
 「銀座シネパトス」は先にも述べたように最初は「銀座地球座」「銀座
名画座」という名称で誕生しました。創業以来、洋画、邦画のピンク映
画を中心に上映し、コアな映画ファンたちから根強い支持を得てきまし
た。
 そして1988年、日本がバブルに沸いていた頃にこの「銀座地球座」「銀座名画座」は、「銀座シネパトス1,2,3」として名称変更し建物も新しく改装され、インディペンデント作品やドキュメンタリーといったものからホラー、アクションまでのB級C級名画たちを、新旧問わず上映してくれる夢の劇場となりました。
 常に時代の先端で煌びやかに変貌してゆく銀座の中にありながら、時代に取り残されたような建物と、小さな飲み屋や理髪店が軒を連ねる地下街は、「銀座シネパトス」の異色な上映作品たちが醸し出す「味」に拍車をかけ、一種独特の魅力に満ちていました。
 2009年には「名画座宣言」を発表し、シネパトス3館のうち1館を邦画専門の名画座として興行し、日本映画界の発展に大きな役割を担ってきました。
 そんなシネパトスも時間の流れには抗えず、ついに昨年の三月をもって老朽化と耐震性の問題による三原橋地下街の閉鎖に伴って閉館しました。
 上映中に有楽町線の電車の走る音が聞こえたり、雨が降ると雨漏りがしたりといったシネパトス名物も、もう味わうことができなくなったのです。これによって銀座からまたひとつ、戦後の復興を支えた歴史の産物が消えてしまいます。
 それでもなお、あの三原橋地下街の古臭くて味のある情景や、そこに居並ぶ怪しいお店たちと一緒にたたずむ銀座シネパトスの姿がこの目にありありと浮かんでくるのは、銀座シネパトスの半世紀の歴史からわきでてくる何か大切なものがあるのではないでしょうか。時代の流れと言ってしまえばそれまでですが、名残惜しい気持ちを抑えきれず、私の記憶にいつまでもとどめておきたいという思いも込めて今回は「銀座シネパトス」について筆を執らせていただきました。