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亀島延昌のちょっと一服

 
 

堀川賀正の銀座探訪 vol.5

銀座初の百貨店として開業した松坂屋銀座店の閉店
 銀座初の百貨店として開業した松坂屋銀座店が6月30日、再開発に伴い閉店いたしました。常に時代を先取りし、街の象徴として親しまれた88年を振り返ります。
 織田信長の小姓を勤めた“森蘭丸”の子孫が創業者の松坂屋。
(伊藤蘭丸祐道は松坂屋の前身の“いとう呉服店”を慶長16年〔1611年〕名古屋本町に創設)
 関東大震災の翌年1924(大正13)年、尾張町(=現在の中央区銀座6丁目)に銀座復興の先駆けとなる銀座発のデパートとして開業。関東大震災(大正12年)の翌年のオープンは人々に夢と希望を与えたことと思います。
 開店当初、日本ではようやく洋装が流行りだしたころで、百貨店でも履物を脱ぐのが当たり前でしたが、初めて土足で入れるようにしたわけです。社内でも賛否が分かれたようですが、後に西洋化の象徴として他の百貨店にも広がったそうです。
 1929(昭和4)年それまで男性の業務だったエレベーターの運転に、エレベーターガールを採用。また、1931(昭和6)年、「お子さまランチ」と名づけたのは松坂屋銀座店が最初でした。屋上には、太平洋戦争が激化するまで、猛獣を集めた動物園もあり、夜更けにはライオンの遠ぼえが響き渡ったといいます。
 1964(昭和39)年、建築家のアントニン・レーモンドが設計を担当し、旧館部分を建て直し新装開店をしました。1966(昭和41)年には、「生きた動物大バーゲン」を開催し、新聞でも紹介されるなど、銀座の街で常に人々の注目を集めました。
 1984(昭和59)年からは、銀座通り唯一の屋上ビアガーデンとして、銀座の夏の風物詩として、親しまれてきました。
 最終日には、開店前から1000人を越える行列ができ、閉店時刻の午後8時までに、約7万人が来店。営業終了時には、閉店を見届けようと店舗前に集まった多くの客が拍手を送る中、店員らが手元のクラッカーを鳴らし、88年余りの歴史を持つ銀座最古の百貨店の終幕を惜しみました。
 閉店後は再開発され、オフィスや多目的ホールなども入る地上13階、地下6階の複合ビルが2016年に完成。17年度にはビル内の大型商業施設がオープンする予定とのこと。
しかしながら、松坂屋を経営するJ・フロントリテイリングによると、松坂屋が入居するかどうかは決まっていないとのこと。
 銀座の百貨店の先駆者である松坂屋。老舗といわれる店が姿を消していくなか、新たに「銀座最大級の商業施設」誕生に、夢と期待を抱かずにはいられない。